FC2ブログ

    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    彫刻の依頼制作について。

    チャーリー(ミニチュアシュナウザー)松田光司作
    「 チャーリー 」 (依頼されて制作したミニチュアシュナウザー、飼い主さんにソックリであった。)

    7月3日のブログでもふれた事だが「依頼制作」について、前回と違う観点から語ってみたい。


    前回の内容としては、私の中で自由制作と依頼制作を区別して考える事はない、というような話であった。

    では実際、依頼制作とはどんなものであるのか?

    こう聞かれた時、まず一番の答えが、「依頼主の要望にそって制作する事。」である。

    依頼主の要望通りつくるという事なのだが、ここで大前提がある。
    当たり前の話だが、どういう過程を経たにせよ、『この作品を依頼するならこの作家である。』と、最も適した作家であるからこそ選ばれているのである。

    この前提に立つと、依頼制作の中で、
    『作家の溢れる個性がその作品に存分に発揮される事をOK。』

    ・・・とされているはずなのだが、・・・・・そう甘くはなかったりするのだ。

    いつもという訳ではないが、途中経過を依頼主にみてもらう場合がある。
    それが極めて形式的なものである時もあれば、いくつもの修正をお願いされる事もある。

    具体的な例は出さないが、まったく思いもしないような事を、依頼主の方が言われる事もあるのだ。
    『依頼される方の関心事は、そこなんだ!』と何度、驚かされた事か。

    かと言って、私の中に『そんな事を言うなんて、』という思いはなく『なるほど、今回はそう来る訳だ。私の考えの及ぶ範囲もまだまだ狭かったな。』などと結構楽しんでいたりするのだ。

    契約の範疇であり、また物理的にも支障がなければ、当然依頼主の要求には応える訳である。


    以前から私が何度か言っている事だが、作品をつくるという行為とは、どんな作品であれ、外界からの制約をともなっているものである。
    心の中は自由だが、制作するうえにおいて100%の自由は存在しない。
    必ず何かの枠にはめられた状態(何かしらの条件)の中、作品は生み出されていくのである。

    その観点から考えると、依頼主の言葉も数ある枠の中の一つにすぎないのだ。

    その「枠」があるから自分の個性が発揮出来ないというなら、それはその「枠」が悪いのではなく、自分自身の力が足りないのだと自覚すべきである。

    こんな考え方の中、数多くの依頼仕事をこなしてきたが、どの一つとっても思い出深いものであるし、また私の彫刻家としての幅を広げてくれるものばかりであったと感じている。 依頼して下さった方々には心の底から感謝である!
    スポンサーサイト



    1. 2010/09/29(水) 11:28:25|
    2. 彫刻
    3. | トラックバック:0
    4. | コメント:0
    <<味覚の話。 | ホーム | 一つの作品から、二つ、三つと・・・。>>

    コメント

    コメントの投稿


    管理者にだけ表示を許可する

    トラックバック

    トラックバック URL
    http://mitsuji415.blog28.fc2.com/tb.php/183-11a06506
    この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)