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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    売りに走るって?

    磐井川上流 撮影 松田光司

    以前にもチラッと取り上げた事があるが、「売りに走る」という事について少し話してみたい。


    当然、美術の世界で「売りに走る」というのはいい意味でつかわれる事はない。
    しかし、この言葉も大きく分けると二つの意味合いがある。

    一つ目は文字通り、お客さんに媚を売り、芸術的価値より何より、「かわいいだけ」とか「きれいなだけ」のように売れさえすればいいというような作品をつくる場合。

    そして二つ目は、芸術的価値も高いにもかかわらず、売れすぎているため、嫉みの対象として他人から「あいつは売りに走った。」と言われてしまう場合。

    さて、まず一つ目のパターンについて、すべてとは言わないが、このようにつくったからといって、すぐ売れまくるという話はあまり聞かない。
    当然、これで売れている作家もいるのだが、この世界そう甘いものでもない。

    色々なタイプのお客さんがいる事も確かなのだが、媚を売ったような作品に嫌悪感を示すお客さんが多い事も事実なのである。

    媚を売ったように感じる作品で売れている場合というのは、実はかなり努力研究して実績を積み、作家としての社会的地位もきちんと確立している場合が多いように感じる。
    何の研究もせず、ただかわいくつくったから、即売れるとは思わない方がいいであろう。


    次に二つ目の項目についてだが、これはある意味仕方のない事だと思う。
    何しろ、みなさんご存じの通り、売れる作家はごく一部である。

    はっきりいって「あいつは売りに走った。」と言ってしまうのは負け犬の遠吠えであると思ってまず間違いない。
    精神的にゆとりがあり、自分の現状を肯定出来る人はそんな事は言わないものだ。

    友達や知り合いに、何か嬉しい事があった時、素直に一緒に喜べない場合は大抵、自分の状況が悪い場合といっていいであろう。

    さてこう考えると、「売りに走る」という中には二つの意味合いがあると書いたが、この「売りに走る。」という言葉そのものがすでに「嫉み」というものから発したニュアンスの言葉である事に気付く。

    つくっている作家本人が「よーし、売りに走ったような作品をつくるぞ!」と宣言するような事はまずない訳で、また、作品に芸術的価値があるかないかは、結構主観的な世界でもあったりもする訳である。

    その観点からみれば、一つ目、二つ目のパターンに関係なく、「売れている」というのは作家本人の努力・研鑚なしにはあり得ない事であるのだ。

    結局思うに、他の作家に対し「あいつは売りに走った。」などと感じてしまう自分がいる場合、人の事をどうこう言う前に、自分自身が努力・研鑚する事を考えるべきなのである。
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    1. 2010/09/21(火) 11:39:44|
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