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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    大きい作品をつくる時の意識。

    不動明王 制作途中 高さ3m20㎝ 松田光司作
    「 江ノ島大師 不動明王 」 制作途中  高さ3m20㎝  松田光司作

    さて、以前小さい作品をつくる時の意識について語ったが、今日は大きい作品の場合はどうなのかという事について語りたい。


    この話の中での、大きい作品の定義はとりあえず、「等身大より比率が大きいもの」という事とする。
    実はこう定義してしまうと、まだそれほど多くの経験がある訳ではない。

    しかし、わずか数回の経験でも色々と感じるところはあった。

    以前書いたとおり、小さい作品をつくる時というのは、形の中に意識を深く入り込ませる事により、作品が等身大のように大きく眼前に広がるような感覚になるのだが、大きな作品の場合、ある意味その逆の現象が起こるのだ。

    どういう状態であるかというと、作品に対し、物理的にではなく、精神的に少し離れた位置から彫刻をみるような感覚とでも言おうか?
    やはりものすごく集中している時に、ふと気付けばこの状態になっているのだが、この時というのは、その彫刻に近づいて制作していても、その大きな作品が等身大くらいか、もしくは、自分の手の平の中で制作しているような感覚になるのだ。

    この感覚というのは、当然最初から感じていた訳ではない。

    ちなみに7月7日8日のブログでも書いた不動明王制作の時には、まだこの感覚の事を意識してはいないのだが、これに近い感覚を無意識下では何となく感じながら制作していたのではないかと思う。

    私の中で「大きな作品」を手の平の中でつくっているような感覚をハッキリと感じたのは「日本野球発祥の地モニュメント」の時である。

    この時のこの作品、高さ180cmの大きな手である。
    制作に取りかかってすぐはやはり、その大きさに自分が迫力負けしているような感じが少しあった。しかし、本当にある日ある時突然、大きくしか見えなかった手が丁度良い大きさに感じてみえたのである。

    この状態になると、制作は随分とスムーズに進んでいったように記憶している。

    私自身の大きさは一切変える事は出来ないのだが、私の意識は変える事が出来る・・・・。
    この事実を知り、自分の物とした瞬間に、私にとって作品の大小はそれほど大きな問題ではなくなったのだ。(ただ、大きい作品は物理的に大変というのはあるが・・・)
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    1. 2010/09/08(水) 08:00:00|
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