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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    私にとって「講師」とは?

    ひまわり 撮影 松田光司

    昨日も少しふれたが、私は大学で非常勤講師として学生を教えている。




    この事に関し、誤解を恐れず言うならば、私に先生という意識はない。
    強いて言うならば造形を志す人たちにとってのかなり上の先輩という感覚であろうか?

    彫刻家として実体験してきたことから、いろいろ語り、指導する事はいくらでも出来るが、やはり先生と呼ばれる事には未だに違和感を覚えるものである。

    しかし彫刻家としての意識のまま講義に臨むかと言えば、そんな事はなく、明らかに自分の中で切り替えスイッチを入れている。

    普段の作家としての制作活動が自分の内側の探求であるとすれば、講師としての活動は自分の外側の探求とでもいうのだろうか。

    もうひとつ違う言い方をするならば「無意識」と「意識」。

    つまり制作時というのはかなり無意識に近い状態のまま作品は完成していくのであるが、それに対し、教えるという行為は完全に意識が覚醒した状態で学生に臨んでいるのである。

    初期の頃は前日から『明日は学校で教えるぞ!』と自分に強く暗示をかけ、気合いを入れていたものであるが、講師と呼ばれて10数年も経つと随分切り替えスイッチの入れ方も上手くなるものである。

    今では授業が始まる瞬間まで作家の意識が支配していても、チャイムが鳴ると同時に講師としての自分が現れてくれるようになったのである。

    また、この生活のリズムも慣れてくると意外と心地よく、私の活動の中でいいメリハリとなっているようである。
    内側に対する探求と、外に向けての探求、トータルでみた時に丁度良いバランスと言うものがあるのだと思う。

    「内」対「外」・・・人それぞれ比率は違うであろうが、生きていく上において絶対どちらも必要なものなんだと強く感じる。
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    1. 2010/07/26(月) 10:45:33|
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