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    彫刻家 松田光司のひとりごと―思いつくまま―

    彫刻の制作をしながら日々思いつくことを書きとめる。

    美術教育。

    厳美渓 撮影 松田光司

    私は非常勤講師として大学で教えているのだが、今日はその大学の授業の話ではなく、もっと全般的な美術教育に関して話したみたい。ただ、そんなに大きな話をするつもりはない。




    前々からよく聞かれる事だが、「美術にデッサンは必要か?」、「美術なんて教えられる物なのか?」、「学生の作品とはいえ、美術に点数などつけられるのか?」などいろいろ耳にする事がある。

    とりあえず、この三つの質問だけに答えるとするならば、私の答えは「イエス。」である。

    今現在、アートの世界があまりにも混沌としていて、何でもありみたいになっており、「これもアートだ!」と言ったもの勝ちみたいな世界に感じるが、少なくとも入口においては何でもありではない。

    まず「美術にデッサンは必要か?」・・・当たり前である。何故こんな事が議論されなければいけないのか意味が分からない。
    この事に対しよく聞かれる言葉が「デッサンなんか教えるから、頭が固くなり、自由な発想が出来なくなるんだ!」というような事。

    まったく何を言っているのだろう。
    私から言わせれば「デッサンのひとつも描けないから、発想も硬くなるのである。」

    自分の手の内を増やしてもらって、発想が固くなるようなら、それはその人の責任である。

    またデッサン力というのはそのまま造形力であり、デッサン力のない人の作品から、説得力のある形を感じ取る事は出来ない。


    次に「美術なんて教えられる物なのか?」・・・これは確実に、教える事の出来る物である。

    幼稚園に行くかどうかの頃の子供の絵は想像力豊かで、自由で面白いから、そのままがいいんだ、と言うなら実際そうしてみるといい。
    ひとりで勝手に進歩していくというなら、他の教育も一切いらない事になる。

    人と言うのは学んだところで終わりではなく、そこから自分なりの応用を加えて成長していくものなのである。
    美術においても当然、同じ事が言えるのだ。


    最後に「学生の作品とはいえ、美術に点数などつけられるのか?」・・・つけられるのは当然である。

    それは授業の課題としてつくらせている訳で、そこにそれをつくらせるための主旨が存在している訳である。
    そのクリアーすべき主旨にあっているかどうか、・・・それを考えれば点数をつける事が出来るのは当然の話である。

    要はその授業の課題に合っていれば点数が高い訳で、その評価と世の中の評価はまったく別な話なのである。
    もし学生が自分の点数が低いと感じるならば、もっとがんばるか、もしくは自分の作品を評価してもらえる世界に出品してみれば良いだけの事である。

    ちょっとざっと、おおまかに書いてしまったが、ここでは書ききれない事もまだまだいっぱいあるので、この話はまた何回かに分けて話してみたいと思う。
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    1. 2010/07/18(日) 17:36:14|
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